工場長がまわって来る
その日、午後になって、工場の中はいつもとは違う雰囲気になりました。「ピーンと張りつめた」という表現があります。月並みと言われても、やはりそういう表現そのものでした。
学生時代の春休み、どうしてそんなところへ、バイトに行ったものだったのか、普段とは別の世界を経験してみたかった、ということだったかもしれません。
バイト代がもらえるばかりでなく、泊まり込みで飯代が浮くことが、魅力だったようにも思います。
染織され大きな巻物となった織物が広げられ、幅の広いベルトコンベアのように、目の前を流れて行きます。織物の向こう側の中年の女の人とペアを組んで、キズやヨゴレを見つける仕事でした。
見つけたら、相手の女の人に知らせます。女の人は機械を停めて、織物の端に付箋をつけて、ふたたび機械を動かします。また、ひたすら検査を続けるのでした。
ケンジュウだったかなんだったか、そんなような言葉がありましたが、それももう忘れてしまっています。
「どうだ、なんともないか」
休憩時間に男の従業員から、からかい半分に聞かれたことがありました。ペアを組まされた女の人が、工場の中でどんなふうに思われていたか、わかる言葉でした。
たぶん、独身だったと思います。言葉を交わすこともほとんどありませんでした。
でもまあ、自分も話が苦手、暗い感じの若者でしたから・・・。
そんなある日、工場長が回ってくることになったのです。、
でも、初めて見る工場長は、自分が勝手に想像していたイメージとは、全く違っていました。偉そうなところとか、怖そうなところとかはまったくありませんでした。
初老で細身の体、例えて言えば技師、とでもいった感じの人でした。
工場長は真剣な顔つきで、丁寧に織物を調べていました。そして、一緒に来た人と少し言葉を交わし、しばらくするとよそへ行ってしまいました。
たったそれだけのことでしたが、世の中にそういう人がいるんだと、長く心に残りました。
その年昭和46年、2月初めに大きな航空機事故があって、そのあと3月4日、5日と、また羽田空港と富士山付近とで、大きな航空機事故がありました。
3月の事故は工場で知ったのでした。