ひとつのことを繰り返してやってるだけ
「結局、ドッグフードの缶詰が、いちばんおいしかったわ」
留学するご主人とともに、渡米したことのある先生が、ある時、話してくれました。昭和30年代の前半のことか、と思います。
船でアメリカ西海岸まで渡って、そのあとは、大陸横断鉄道で東海岸まで行った、とのことでした。もちろん、飛行機に乗るお金がなかったからです。
途中で、列車が駅に停まると、食べ物の買い出しに行くのだけれど、普通の食べ物は買えなくて、ご主人と二人で、毎日毎日、ドッグフードを食べながら、旅をしたのだそうです。
でも、それはそれで素敵な旅だったように思えます。
その英語の先生の授業は、特別なものでした。
授業の前の休み時間になると、ほとんどの生徒は、授業の準備で必死でした。次の時間がたとえ数学の授業であっても、そのあとの英語の授業のために、休み時間を費やしているのでした。
そして、英語の時間が終わった後は、たいていの生徒がぐったりしていました。
一時間の間、次々に何度でも指名されたりするのか、息をつく暇もないと、生徒達は言っていました。
怖いお話や不思議なお話などと、遊んでばかりいる某数学教師の授業とは、全然違っているみたいでした。
そのころは、模擬テスト全盛の頃でしたが、その先生が教えるクラスの英語の平均点だけが、いつも県内でひとケタ前後の順位でした。
といって、他の教科の平均点だって、名古屋近郊のごく普通の中学校にしては、たいしたものだったのに、とにかく、ぬきんでていたのです。
むろんテストの点数だけが、すべてではありませんが、ある程度、点が取れてこそ、他の議論もできると思います。
「授業中によほどレベルの高いことをやっているのでしょうね」
ある日、思い切って、尋ねてみました。
《でも、そんな高いレベルの授業によく生徒たちが、ついてくるものですね》
とは、さすがに言えませんでした。
「私はレベルの高いことなんてやってないよ。簡単なこと、ひとつのことを繰り返してやっているだけ」
返ってきたのは、意外な言葉でした。
そんなことがあるのでしょうか。簡単なことを繰り返してやっているだけで、あんな高い平均点が取れるわけはないのに、と不思議に思ったことでした。
ずっとあとになって、部活で気がついたことがあります。
年によっては、レベルの高い子どもたちが、集まってくることがありました。そういう年に、期待を膨らませて、高いレベルの練習をしたり、あれもこれも練習したりすると、思ったよりも勝てませんでした。
逆に、これではと嘆きながら、基礎的な練習ばかり繰り返したときに、思いもかけない成績を、収めることができたのでした。
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写真は丁字草