ラーパーさんの「花の谷」だより 

2023年のブルーベリー狩り、8月7日で終園としました。
炎暑のせいか、実の過熟がどんどん進みました。
天候等も考えての終園です。
ありがとうございました。

以下、2024年に向けてのメモです


来園前にこのブログで確かめるなり、電話するなりしてからが無難です。予約は不要です。
電話は、090の7862の4605

山の中で、尋ねる人もほとんどいません。
googleで、検索「ブルーベリー園花の谷」とすると、わかりやすい地図が出ています。

いやそれよりも、花の谷090の7862の4605へ電話をください。何かどこにいるかの目印を、見つけてからがいいと思います。

たいていのカーナビは、「長野県売木村岩倉45-1015」とすると、すぐ近くまで来れますので、あとは看板とのぼりとを、頼りに来てください。

何しろ自然の中のブルーベリー園、虫もいます。紫外線も強いです。長そで、長ズボン、帽子着用など、対策を十分に来園のほど、よろしくお願いします。
長雨が続くと、蜂がくることがあります。近づかない、ふり払わないを心がけて下さい。これまでに、スズメバチに刺された人はいません。

1 入園料 (時間制限なし・2,500坪の園内で、自由に食べ歩いて、お土産パックをつくる)
☆ 大人
○ミニパック付き 500円
☆ 小・中学生
○パック無し 200円
☆幼児
○パック無し 0円
☆ペット 0円

海や川のお魚さんのために、レジ袋を置かないことにしました。
けど、パックがねえ。
新聞紙を用意しました。むかし風で、思ったよりもいいですよ。
ミニパックは、両ハシをおさえるとフタができます。
大パックは、輪ゴムか、新聞紙で包むかしてください。

2 開園期間
毎年、 7月7日頃~8月8日頃の予定


3 メモ
車椅子でも、自分で実を摘んで楽しむことは、ある程度できます。
トイレも、車椅子のまま入ることができます。
もちろん、じゅうぶんではありませんが…。

なお、少なくとも半径500メートルの範囲内には、飲食店も自販機も
なにもありません。園内でのお茶の提供もありません。
恐縮ですが、必要な場合、ご持参をお願いします。
もちろん銀行もありません。カードも1/12ヶ月だけなので、やっていません。できれば、小銭を用意してくださると、助かります。

大人が付いていれば、かなり安全に川遊びができる小川、目の前にあります。とても冷たくきれいな渓流です。
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チャイムが鳴ったら,だーれも聞いとらん
 「最後の一番大事なところでチャイムが鳴って,いつまでも鳴っているんだもんな。もっと短いチャイムにしてもらえんだろうか。」
「そんな時まで,授業やってたらいかんわ。まとめはチャイムの前に持ってくる。でなければ授業の組み立てが悪い。いくら一生懸命先生がしゃべっても,生徒はだーれも聞いとらんぞ。」
 若い頃、ベテランの先生に言われて,そのとおりなんだと思いました。

 たったこれだけのことが,わかってない先生って,ずいぶんいると思いませんか。
 チャイムが鳴り終わってからもしゃべっている先生なんて,生徒には迷惑。
 わずか10分の休み時間で,生徒はトイレ,情報収集,借り入れ、遊び,憂さ晴らしなどなど,大切なことをあれもこれもしなければならないのに。
 どんなことがあっても,休み時間は確保してやらなければなりません。

 実際,「ああ,もう時間がきてしまったか」などという授業は,最後のまとめも練習もない無計画な授業だと思いませんか。
 「授業終了の着地点は,チャイムの直前」なのです。それを意識して授業を計画しましょう。

 もちろん,チャイムの前に生徒を解放してしまったのでは,隣りのクラスに迷惑がかかります。
 チャイム3分前に,ノートは閉じて,ムニャムニャと,どうでも良いお話をしたり,みんなでしゃべっていて,チャイムとともに解散,というのならいちばんいいと思いますよ。
人間にも啓蟄あり。2月25日だった?。
 山の春はチェンソーの音で始まるようです。日当たりでは雪もほとんど融けて,シイタケの原木つくりが始まりました
 昨秋に切り倒しておいたコナラの木を,90cmくらいの長さに切る「玉切り」の音が,向こうの山,こっちの山と聞こえてきます。
 昨日は最高気温がなんと17℃。この数日,最低気温が―1℃くらいの日が続いています。
 暖かくなったら急に村の人たちが動き出しました。
 そして,家の中では,テントウムシやカメムシが,どこからかわき出してきて,うっかりすると踏み潰しそうです。自分も外へ出て,あれこれごそごそ。人間も虫も大して変わらないようです。

「このまま春になるんだろうか。」
「まだ,2月だから,寒い日がもどってくると思うよ。このまま暖かくはならんわ」
「遊んどる今のうちに,体を直しとかないかん」
「やることがいっぱいたまっとるねえ」
 村の整骨院には,65歳から85歳(推定年齢)のおじいさん,おばあさんが8人。今日は天気が良くて,外で仕事しやすいせいか,いつもよりは少ない。

 寒くてこたつにもぐりこんでいる冬は「遊んどる」と表現します。
 ということは,春になれば80歳の人でもなんでも,みんな「働く」つもりでいる。定年退職すると,濡れ落ち葉になったりするのとは大違いです。本当に,たくましい。
 
 少し話がそれるけれど,チェンソーの音で思い出した話があります。
 長く事務系の仕事をしていて退職した人が,ある日,山へ木を切りにでかけたそうです。
 しばらく木を切っているチェンソーの音が聞こえていたけれど,途中から変化のないエンジン音がいつまでも続くようになりました。
 行ってみると,その人が木の下敷きになって倒れていて,近くには,チェンソーがエンジンのかかったままころがっていたといいます。
 切り倒した木が,近くの木に引っかかったため,その木も切り倒したところ,下敷きになったのではないかということです。あまりそういう作業に慣れていなかったからという口ぶりでした。気をつけなければ。
 村の人たちは,自分の仕事をしながら,周りの人の仕事ぶりも聞いているんだなと思ったことでした。

 追記
 今年の啓蟄は,カレンダーによると,3月6日だそうです。今年の春は早いのでしょうか。

 
落ちた話
 受験シーズンの真っ只中に「落ちた」話で,受験生の揺れ動く心を逆なでするなんて,どういうやつだ,と思われるでしょうか。
いや,むしろこれで落ちないように厄払いするんだ,とここは前向きに考えましよう。

 それにしても,40年も前の,関係者どころか,もしかすると当事者さえ覚えてないかもしれない話です。こんな話を持ち出してくる当ブログの筆者はよほど奇妙な精神構造ないしは頭脳構造の持ち主に違いありません。
 当時も顔見知り程度で,卒業後はまったく音信不通のお二人の方,どうぞお許しください。なつかしく思い出しています。

 ある夕方,某大学寮の二階の一室で,何人かの寮生が駄弁っていました。当然,酒を飲んでいたとしても,なんら問題はないわけですが,そういう確たる証拠はまったくでてきませんでした。
 そのうちに,ひとりが立ち上がって窓辺に行き、手すりに手をかけました。外の景色を見るつもりだったのか,天気を見るつもりだったのか,あるいはまた,ありそうもなかったけれど,美しい女性の声でも聞こえたのか,それもわかってはおりません。
 そして、目撃者の話では「突然消えた」そうです。ものすごい物音と一瞬の間があったのち,「落ちた」と気がつきました。
 あわてて階段をかけおりて外へ出てみると,壊れた手すりの残骸の上に,うつ伏せに倒れていました。幸いにも,命には別状はなくて,数日間の入院ですんだと記憶しています。
 古くなった寮の建物が原因でした。手すりが壊れていたのです。
 今だったら管理責任とかいろいろ大変だろうけれど,そういう話はなかったように覚えています。

 同じ頃の,やはりその某大学のそれも同じ寮生の話が,もうひとつあります。
 彼は,友人とふたりで酒を飲んで,お城に行ったようです。ふたりで石垣のそれも少し高くなったへりにのぼって,騒いでいた。
 すると,やはり目撃者の話では「突然消えた」そうです。一瞬の間があったのち,「落ちた」と気がつきました。
 酒の酔いもいっぺんに醒めて、あわてて、堀まで回ってみると,泥のなかに倒れていたそうです。見舞いに行った記憶もありますし,こちらのほうが入院期間は長かったと記憶しています。

 以上,「老人のばかばかしい昔話に,仲間の老人たちは,またかと顔をしかめ,賢い若者は,静かに耳を傾け,そんな話からさえ,いくらかの教訓を引き出す。」
 です。

ラズベリーの枝も食べるのか 野うさぎは
 先日の午後,「午前9時の外気温10度」に誘われて,サビタのブルーベリー園に降りてみました。
 昨秋に設置したアニマルフェンスのおかげで,ブルーベリーには野うさぎの食害は見受けられませんでした。

 でも,少ししか植えてないラズベリーが食われていた。
 フェンスで囲ってないラズベリーが食われたのです。サッカーの途中で,プツンと,ちょうど鋭いナイフで斜めに枝を切り落としたように,切りとられていました。昨年のブルーベリーの悪夢再びでした。
 かなり高いところで切り取られていたので,雪がたくさんつもった12月の頃に食われたようです。
 アニマルフェンスを張るとき,少し引っかかったけれど,ラズベリーにはとげもあるし,たぶん食われないだろうと思ったのでした。フェンス代も馬鹿にならないし。

 あちこちに,野うさぎの茶色の糞がかたまって落ちていて,小さな子ウサギのものらしい糞もありました。
「春まであと少しの辛抱だからね。とげがチクチクするけど,がまんして食べなさい。本当はブルーベリーの小枝のほうが甘いんだけどね。もう,フェンスなんか作っちまって。」
 と,母うさぎが言ったとか言わなかったとか。

 さすがに,とげで全身がおおわれたブラックベリーは被害なし。こっちは,本当にとげが痛くて,植えるのを控えようと思っているくらいですから。
 それから,ラズベリーの近くに植えたアンズの苗木も,下のほうが食われていました。
 
 とにかく,食べれるものなら何でも食べる,と言う感じです。
 冬眠もせずにがんばっている野うさぎたち。ブルーベリーとは違って,ラズベリーはバラ科だから,強剪定もかまわないでしょう。剪定してもらったつもりでいるから,どんどん食べていいことにします。

追記
「サビタ」とは「ノリウツギ」のことで,白いアジサイのような花穂をつけます。大昔の「サビタの花」の歌が懐かしくて,ブルーベリーが日陰になるにもかかわらず大切に残してあります。
 
 アニマルフェンスは,国華園の通信販売で取り寄せました。竹とネットを使ってフェンスを作ってみたけど,耐久性や手間を考えると,お金はかかっても,今のところアニマルフェンスがおすすめです。鹿などの背の高い動物にも大丈夫です。
 送料を含め15mで9,800円。高さは1.2mです。なんだか宣伝しているみたいだけど,獣害に悩む同憂の方のためには,数字はきちんと示すべきと思いますから。あくまで参考までに。
「こまどりの湯」って知ってますか。
 当地,南信州売木村のこまどりの湯は,泉質名「ナトりウム炭酸水素塩温泉(重曹泉)」無色透明で肌がつるつるとするとても気持ちの良い温泉です。営業時間は午前9時〜午後8時30分まで。木曜日休館。
 山奥の本当にひなびた村の日帰り温泉です。特に,冬は入湯客も少なくて,ほとんど貸切りモード。
 
 追記(06.2.26)
 この温泉は,アトピーによく効くそうです。そのために,売木に別荘を買ったと言う人がいます。
 また,今は名古屋に住んでいる人で,アトピーの子どものために,温泉の湯を汲みに,時々帰ってくる人も,実際にいるそうです。持ち帰って,顔にぬったりしているようです。
 こまどりの湯ではなく,役場の裏に温泉のスタンドがあります。確か,200リットルで200円。ポリタンをあらかじめ用意して行く必要があります。
 以上,実際の話です。だまされたと思って,ためしにぜひどうぞ。

 しかし,マイカーでなかったら来ることはできません。飯田線の温田駅からバスがあるけど,1日に1本だろうか。いつ見てもほとんど誰も乗っていないのです。
 あんな大きなバスではガソリン代がもったいないぞ,小型のワゴン車にしたらいいのに,と思っています。でも,ワゴン車にとりかえるのも費用がかかって大変なのかも。もしもの時のとても大事な足だから,絶対になくなってほしくないのですが。

 2月18日(土)の中日新聞に「三遠南信交流温泉ラクラク直行バス」が3月10日から4月28日まで,週3回運行するとありました。浜松駅から豊田インター・国道153経由で,稲武のどんぐりの湯や平谷のひまわりの湯にも停まってこまどりの湯まで来るようです。往復入浴料込みで3900円。バス会社は遠州鉄道(053−454−2270)です。
 期待したのと違って,どうも観光バススタイルのようで,売木からどこかへ行くときに使えるわけではないようですが。でも,このさびしい村に人が来る機会が増えると考えると大歓迎です。このところ、温泉客は減りつづけていると言うし,せっかくの温泉をもっとみんなに知ってほしい。 
 というよりも,そのバスって続くのかなと,余分な心配をします。やっぱりだめだったにならないように,関係方面でがんばってほしいな。
 あいにくと,自分はまったくかかわりがない外野席応援団だけど。
  
 参考までに,
  こまどりの湯  
   399−1601 長野県下伊那郡売木村45−50
            0260−28−2334                
巨人軍川上哲治は右バッターだった
 あのセルロイドの筆箱を,自分はどうして持っていたのでしょうか。
 父が買ってくれたものだったのか,あるいは親戚の誰かから送ってもらったものだったのか。
 とにかく,セルロイドの筆箱を持っているものなど,クラスにもほとんどいなかったと記憶しています。もちろん,プラスチック製品はまだなかったころのことです。小学校4年生のときだったと思います。

 セルロイドの筆箱には,ふたの中央に透明な四角い窓がついていました。その窓には巨人軍の好打者,川上哲治一塁手の写真が入っていたのです。写真の川上選手は左ボックスでバットを構えて立っていました。
 それは白黒の地味な写真でしたが,自分の持っているものの中で一番大切なものでした。自信を持って自慢できるものでした。
 といっても,おおぴらに自慢していたわけではありません。持っているだけで,素朴な巨人ファンだった自分の気持ちを充分に満たしてくれていたのです。

 ある日,野球のことに詳しい友だちが,筆箱に気づいてくれました。勉強もでき,運動もできるクラスのリーダーでした。自分はわざと何も説明せずに黙っていました。
 「巨人軍 川上哲治一塁手」
 筆箱の写真の下にはそう書いてありましたし,そうでなくても,その友だちならわかるはずのことでしたから。
 友だちは,筆箱を取り上げてしばらく黙って見ていました。うらやましそうにしていると思いました。クラスのみんなも集まってきて,友だちの手元をのぞき込みました。
 でも,次の瞬間,友だちの言った言葉は思いがけないものでした。
「この写真はいんちきだ。」
「いんちきなんだって。でも、どうしてわかる。」
 仲間のひとりがたずねました。
「このバッターは左打者だ。川上は右打者のはずだよ。」
 それで,自分は川上のいんちき写真を大事に持っている人間にされてしまいました。
 テレビなんてありませんでした。雑誌だって,子どもたちが見ることはほとんどありませんでした。まわりの友だちには中日ファンが多かったのですが,巨人ファンであっても,巨人について詳しいことは知りませんでした。
 だれも川上哲治が左打者とは思っていなかったのでした。たぶん、いんちきと決めつけた友だちも,本気で右打者と信じていたと思います。
 
 その年,ジャイアンツを応援していたにもかかわらず,中日ドラゴンズが優勝しました。それで,翌年から中日ファンに変わりました。
 それなのに,中日はその翌年からはまったく優勝しなくなってしまいました。
 それでも今もドラゴンズファンを続けています。
「わたし夢中で蛇の頭を・・・」子うさぎ救出戦記
「夕闇の中で、キューキューという声を聞いたんだよ。小鳥の鳴き声かと思った。
 蛇が子うさぎをくわえてたんだよ。」
まだ、興奮した声で、奥さんが話し始めました。
「思わず棒切れをさがして、蛇の頭をたたいたの。ブルーベリーの株に、自分のからだを巻きつけて、子うさぎの胴体をしめつけていた。
 はなせ、って頭をたたきつけながら、夢中でさけんだわ。デッキでソラもウワンウワンとほえた。すごかったわ。
 いったいどこにいたの。手伝ってほしかったわ。大事なときに、いつもいないんだから。」
 急に矛先が回ってきました。そんなのって、立ち入らんほうがいいんじゃないのかな人間は。
 蛇だって、食っていかなければならないんだもの。もうすぐ冬眠の時期なんだし。でも、やっぱりそうするだろうな。ほんとうにうちの奥さんはえらい。
「たたいてもたたいても,はなさないの。それで,蛇のあごに棒を入れてはずそうとしたの。怖かったわ。」
 怖かったろうな,蛇も。よくがんばったね。
「そしたら,やっと子うさぎをはなした。飛びかかってくるかもしれないと思ったけどゆっくりと逃げていった。」
 うーん。とてもそこまではできないぞ。よかったな、そこにいなかって。いたら、戦闘放棄だ,戦線離脱だと,ずっと言われるところだった。
「だけど,子うさぎはぐったりしてうごかなかった。かわいそうだった。
 助からないんだったら,あんなことしなければよかった。蛇に悪いことしちゃったわ。死んでなければいいけど。」
 たぶんそのくらいだったら死なないよ。大丈夫だよ。
 子うさぎのことよりも、あのときの蛇のことを今でもよく思い出すそうです。
 それにしても,野うさぎはわが家ではブルーベリーの苗を食べてしまう害獣のはず。とはいっても,やっぱり蛇に食われたりしてほしくはないものな。
 あれからもう4ヶ月。12月の大雪が融けて,ぺしゃんこになった落ち葉の上に真新しいうさぎの糞が散らばっています。
 蛇はどうしているのでしようか。元気で冬眠していればいいけれど。
忘れられた本名(ラーパー 教師はあだ名を選べない)
 振り返ってみるまでもなく、37年間の教師生活のいつの時代も、世のかたすみ、職員室のかたすみで、いるかいないかで、ほそぼそと生きてきたつもりです。
 それなのに、ある時期、なぜか「ラーパー」というあだ名で呼ばれました。天然パーマをラーメンパーマ、略してラーパー、まったくどんな辞書にもないひどい日本語(?)でした。
 
 本人のいないところでは、あきらかにラーパーと呼び捨てられている気配でした。
 元気の良い連中は、面と向かって呼び捨てにしてきました。なにか頼むとか機嫌の良いときだけは「なあ、ラーパーさんよう」でした。「さん」をつければそれで良い、と言うもんではありません。

 ある時、新一年生が職員室に入ってきました。
「失礼します。ラーパー先生はおみえでしょうか。」
 緊張した面持ちで、大きな声で叫びました。
 隣りで、付き添ってきた生徒がとてもあわてて、本名を教えていました。そんな奇妙な名前の先生がいるなんて変だ、といくら新入生でもわかりそうなものなのに・・・。

 また、その時代から20年ほどものち、その町で少し年配の女性から、声をかけられたことがありました。
「以前に、中学校におみえでしたね。どうしても、お名前がも出てこなくて申し訳ありませんが。」
 それで、本名を名のりました。でも、その女性はまだあいまいな微笑を浮かべたままでした。

 ふと思いついて、まさかとは思いましたが,
 「生徒たちは、ラーパーと呼んでいました」
 「ああ、ラーパー先生。よく覚えています。娘がお世話になりました。」
 失礼なことに、とてもうれしそうにして、にこにこと笑っていました。

 まったく、「教師はあだ名を選べない」と思いませんか。
レベルが並みじゃないブルーベリー園
 岩田康子さんのブルーベリーフイールズは、「ブルーベリーの実る丘から」(創森社1680円)で知りました。
 HPもあるけれど,リンクを張るとかいったレベルの高い数々の技は、本ブログではできかねますので、ご自分で御検索いただきますようお願いします。

 かねて大好きな鳥人間大会でおなじみの琵琶湖大橋を初めて渡って、湖西の山を登って行きました。
 最後のところで、しっかり山道になって,大丈夫かなと思う頃、急に開けた斜面に出ました。
 車を止めたところに、買い増して作ったというハーブ園がありました。
 でも、10月も下旬だったせいか、ハーブにも勢いがなくてさびしそうでした。あたりまえか。だいたいそんな時期に行って、ブルーベリーだって実っているわけないのに。

 というわけで、大きく育ったブルーベリーの木は、チラッと見ただけで、2階のレストランに入りました。琵琶湖が一望でき、木々が強い風に揺れていました。
 ここでは思い切って、3,500円の昼食を食べたけど、3年も前のことで、また興味のないことなので、料理のことは覚えていません。

 それよりも若いスタッフがたくさん働いていました。柳生博さんの八ヶ岳倶楽部でもそうだけど、そういう所って、どんどん若い子たちが集まってくるみたいです。山小屋の居候の現代版でしょうか。
 まだ、行ったことはなくて想像だけど、玉村豊男さんのヴィラデストでも、本で読む限りそんな感じがします。ネームバリューということも、大きいかもしれませんが。

 それにしても、これだけの事業にするには、能力や人脈、それから体力など、天賦のその人の持っているものが、相当必要とされると思いました。
 ブルーベリー園もいろいろあるけど、ここはレベルが並みじゃない、と思ったのでした。著書に載っているジャムを、1,000円という高い値段で売ることに徹する話も、その一例です。

 いろいろたくさんジャムを買って、サインももらいました。岩田康子さんは、著書の写真通りの美しい人でした。
 でも少し疲れ気味だったとの声も、どうぞお体を大切に。 


呪われた水晶の秘密
 子どもの時のお話です。
運動会も終わった頃のある日、友だちに、水晶を拾いに行こう、と誘われました。

 水晶って、知っていますか。
 そう、魔法使いのおばあさんの持っている、未来のことを占う、すきとおった大きな丸い玉。あれは、よほど大きな水晶を、よほど長い時間をかけて、丸くなるまでみがいたものですね。
 ガラスよりも硬くて、キラキラ光るきれいな六角形の先が鉛筆のようにとがった石は、理科室で見たことがありました。そのときから、ほしくてほしくてたまりませんでした。

「連れて行ってやるけど、ぜったいしゃべったらだめだよ。二人だけの秘密。ぜったいだよ」
 きつく約束させられて、友だちと二人、山道をてくてくと歩いて行きました。
 そうしたら、大きな大きな木がありました。さこは、道がふたつにわかれていました。大きな大きな木の根元には、古ぼけた小さなほこらがあります。

 友だちについて、ほこらの脇を、右のほうへ道を歩いていきました。やがて秋の夕日に赤く染まったがけに来ました。
「ここだよ」
さややくように言うと、友だちは、ぼうきれで土を掘り始めました。

 やがて出てきたのは、米つぶのような小さな水晶がぎっしりとついた石ころでした。
 水晶と言ったって、本当に小さなものでした。「米水晶」というのだそうです。
 少しがっかりですが、それでも二人とも、だまったまま真剣にさがしました。

 けっきょく、友だちは米水晶がたくさんついた石を、4つも見つけました。ぼくは、小さなかけらのような石しか、見つけられませんでした。
「二人で来たんだから、はんぶんこしようよ。」
 最後に友達はそう言って、立派なのをふたつも、ぼくの手にのせてくれました。

 そして、ふたりで「米水晶」をにぎりしめて、ススキの穂が続く、もうすっかり暗くなった山道を、帰ってきたのでした。
 お話はこれでおしまいです。

 というと、なんにも面白くありませんね。
 もちろん、お話はまだ続きます。
 何日かして、また、あの水晶山へ行きたくなりました。

 でも、今度は、学校から帰ったあと、友だちにはないしょで、ひとりで出かけたのでした。日が暮れかかったさびしい山道を、てくてくと歩いて行きました。別にこわくはありませんでした。

 そうしたら、大きな大きな木のところに来ました。
 やっぱり、木の根元には、古ぼけた小さなほこらがありました。そのわきを左の道のほうへ歩いていくと、やがて、秋の夕日に赤く染まったがけに来ました。

 前に来たときとは、どこか違うようにも思いましたが、
「ここだったよ」
自分で自分にささやくように言って、ぼうきれで土を掘り始めました。
 すると、すぐに親指くらいの太さの大きなすきとおった水晶が見つかりました。思いがけない大きさです。
 びっくりして、まわりを見まわしました。もちろん、だれもいません。うるしの葉が真っ赤にかがやく、秋の夕方のしずかなしずかな山の中です。

 それから、友だちのぶんもと思いつきました。夢中でさがしました。しばらくすると、もうひとつ、同じくらいの大きさの水晶が見つかりました。
 自分でもほんとうに驚きました。もっと探したかったのですかが、いつのまにか、あたりはすっかり暗くなっています。
 右手に水晶を二つ握って、いそいで帰ることにしました。

 しばらく歩いて、ふと気がつくと、後ろから何かがついてくる足音がします。
 ドキッとして、立ち止まりました。
 すると、後ろの足音も立ち止まったようです。暗くなった秋の山道は、しーんとしてして、何も聞こえません。
 怖いけれど、そっと後ろを振りかえってみました。だーれもいません。
 思わず、駆け出しました。
 後ろから、駆け足で追いかけてくる足音がします。ひたひた、ひたひた、どこまでも追いかけてきます。
 もう必死で走りました。
 「かえせ、かえせ」
 そんな声が聞こえたような気がします。けれども、何もかもわすれて、夢中で走りました。

 ようやく家に着いて、気がついてみると、水晶はひとつになっていました。もうひとつは、いつのまにかなくなっていました。どこで落としたのでしょう。
 外は、真っ暗な夜の道です。

 でも、ひとつは残っていました。 あした学校へ行ったら、みんなに見せようと思いました。
 その夜は、残ったひとつの水晶を枕もとにおいて、ねむりました。
 そうして、夢を見ました。
 長い髪の毛を振り乱した、女の人のような、なにかえたいの知れないまっ黒なものが、追いかけてきます。
「まてえ、まてえ。かえせえ、かえせえ。どんなに逃げても追いつくぞ。水晶を取り返すぞ。」
そう叫びながら、追いかけてきます。

 もうつかまる、というところで目がさめました。
 朝でした。
 気がつくと、びっしょりと汗をかいていました。からだじゅうが、熱くて熱くて、苦しくてたまりません。

 その日は学校を休みました。
 夕方、心配した友だちが来てくれました。学校のことなどを、話しているうちに、枕もとの水晶を見つけて、どうしたのかと聞きました。

「左へ行っては、いけなかったんだ。」
 ぼくの話を聞くと、友達は言いました。
「大昔、いくさがあって、あの赤いがけのところで、お姫さまが殺された。
水晶は、そのときに、まだ死にたくない、と言って泣いたお姫様のなみだなんだよ。
 だから、もって帰ると、熱が出たり悪いことが起きたり、たたりがある。のろわれた水晶を持ってきちゃったね。そうだ、ぼくが、今から返してきてあげようか。」
 気のせいか、,そのとき、友達の目は、あやしく光ったようでした。
もちろん、ぼくは友だちに水晶をあずけました。

 すると、次の日の朝、ぼくはすっかり元気になって、学校へ行くことができました。
 でも、その日は、友だちが学校を休んだのでした。

 夕方、友だちの家へ行くと、枕もとに水晶がありました。
「ごめん、あんまりきれいで大きな水晶だったものだから。それに、日が暮れてしまったんだよ。」
「そうか、いいよ、今からぼくが、返しに行って来てあげるよ。」
たぶん、そのとき、ぼくの目は、あやしく光ったことでしょう。

 そうして、次の日、今度はぼくが、学校をお休みしました。
「ごめん、あんまりきれいで大きな水晶だったものだから。それに日が暮れてしまったんだよ。」
「そうか。いいよ、今からぼくが、返してきてあげるよ。」

 その次の日は、今度は、友だちが休みました。

 その次の次の日は、今度はぼくが・・・・・。

と言うと、このお話は、いつまでもいつまでも続いて、終わりがありませんね。

でも、お話には、いつも終わりがあります。
 そのまた次の日に、今度は二人とも学校を休んでしまったのです。と言うのは、日曜日だったから。
 それで、ふたりで、呪われた水晶を、左の道の先のお姫様の赤いがけのところへ返してきて、これでこのお話はおしまいです。

 あの水晶は、今も、あの赤いがけのところにあるのでしょうか。