ラーパーさんの「花の谷」だより 

2023年のブルーベリー狩り、8月7日で終園としました。
炎暑のせいか、実の過熟がどんどん進みました。
天候等も考えての終園です。
ありがとうございました。

以下、2024年に向けてのメモです


来園前にこのブログで確かめるなり、電話するなりしてからが無難です。予約は不要です。
電話は、090の7862の4605

山の中で、尋ねる人もほとんどいません。
googleで、検索「ブルーベリー園花の谷」とすると、わかりやすい地図が出ています。

いやそれよりも、花の谷090の7862の4605へ電話をください。何かどこにいるかの目印を、見つけてからがいいと思います。

たいていのカーナビは、「長野県売木村岩倉45-1015」とすると、すぐ近くまで来れますので、あとは看板とのぼりとを、頼りに来てください。

何しろ自然の中のブルーベリー園、虫もいます。紫外線も強いです。長そで、長ズボン、帽子着用など、対策を十分に来園のほど、よろしくお願いします。
長雨が続くと、蜂がくることがあります。近づかない、ふり払わないを心がけて下さい。これまでに、スズメバチに刺された人はいません。

1 入園料 (時間制限なし・2,500坪の園内で、自由に食べ歩いて、お土産パックをつくる)
☆ 大人
○ミニパック付き 500円
☆ 小・中学生
○パック無し 200円
☆幼児
○パック無し 0円
☆ペット 0円

海や川のお魚さんのために、レジ袋を置かないことにしました。
けど、パックがねえ。
新聞紙を用意しました。むかし風で、思ったよりもいいですよ。
ミニパックは、両ハシをおさえるとフタができます。
大パックは、輪ゴムか、新聞紙で包むかしてください。

2 開園期間
毎年、 7月7日頃~8月8日頃の予定


3 メモ
車椅子でも、自分で実を摘んで楽しむことは、ある程度できます。
トイレも、車椅子のまま入ることができます。
もちろん、じゅうぶんではありませんが…。

なお、少なくとも半径500メートルの範囲内には、飲食店も自販機も
なにもありません。園内でのお茶の提供もありません。
恐縮ですが、必要な場合、ご持参をお願いします。
もちろん銀行もありません。カードも1/12ヶ月だけなので、やっていません。できれば、小銭を用意してくださると、助かります。

大人が付いていれば、かなり安全に川遊びができる小川、目の前にあります。とても冷たくきれいな渓流です。
<< January 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
「ラーパー」ってなんのこと
 昔,生徒たちから「ラーパー」とよばれた中学校の数学教師がいました。

 本人は,少しだけ長髪にした天然パーマの髪の毛が、ラーメンのようにくしゃくしゃだから,そう呼ばれている、と理解していました。
「ラーメンパーマ」、略して「ラーパー」。くやしいけれどよく考えたものでした。 

 なお、少しだけ長髪というのは,
「おしゃれで,時代に合わせて」
というわけではなく,ただ
「床屋へ行くのがめんどくさかったから」
にすぎません。

 もし、このあだなに、他の理由があるとしたら、ときどきとても大きな声で、生徒をどなりつけるから、「らっぱ」という意味も、こめられているのかもしれない。
 本人は、ことほどさように、冷静に心ひそかに、分析しておりました。

 ところがある日、とぼしい知識の中で、フランスやイタリア、スペインといった国々では、英語の「the」みたいなふうに、「ラ」をつけるらしいと気がつきました。
 すると、なんだ、「ラーパー」は、英語で言えば、「theパー」ということではないか。

 そういうつもりで、この数学教師を、生徒たちは呼んでくれていたのか、あまりのありがたさに涙がでるぞ。

 そう思いながらも、それでも本人は、なぜか納得し、あきらめていたみたいです。
 今回、このブログに、そのことばを嬉々として、使おうとしているくらいですから。
 
薪ストーブは薪の大食い怪獣
 

 我が家は、とてつもない食いしん坊を、2匹買っています。
1匹は、コーギー犬の「そら」。

この愛犬の話は別の機会に譲るとして、もう一匹(?)の冬季限定食いしん坊が大問題で、それは「薪ストーブ」のことです。
 
先日も、ホームセンターで片腕に一抱えの薪を、500円ほど売っていましたが、あれでは一夜分にはならないでしょう。
 比較的暖かい夜など、ストーブ全体、部屋全体が、あたたまったあとは、少し太めの薪一本を、順に継ぎ足していくようにしています。
 それでもやっぱり薪ストーブはとんでもなくよく薪を食う怪獣だぞ、が実感です。

 薪の入手や、毎日の燃やすための用意など、年取ったらやってられないなと思ったりします。くやしいけれど、灯油にはかなわないという感じです。
 とはいえ、ほんわかとしたあたかさも、薪の燃える香りも、煮物の楽しみも、一度体験したらやめられません。

 以前に「soleil」というOMソーラー協会の雑誌に、投稿した記事(03.3.1)をもとに、よりよい薪ストーブライフの準備を、メモしてみます。
 今ならこうするという話です。

(1)ストーブの直ぐ隣に「大きな」室内薪置き場を
 雑誌の写真にあるような、おしゃれで小さな薪置き場では、すぐに薪がなくなってしまいます。雨の日や雪の日にも、薪運びをする運命になります。 また、乾いてない薪までも、燃やさなければならなくなってしまいます。

(2)室内薪置き場は、吐き出し口のすぐ内側に
 吐き出し口の外までは、一輪運搬車で運んで来れた薪も,そのあと、いちいち靴を脱いで,室内薪置き場に運び入れるのが大変。
 腰痛回避と室内の汚れ防止のためにも、吐き出し口のすぐ脇に、室内薪置き場を、その奥に薪ストーブを設置したいものです。
 できれば、室内薪置き場の側面に戸があって、その外から靴をはいたまま薪が積み込めたら最高です。

(3)ストーブと室内薪置き場の前面は、灰や木屑対策をしっかり
 できれば、ストーブと薪置き場、およびその前面の一部を、れんが1個分くらいの深さで土間のようにすると、掃除がしやすく、焼き焦がし防止にもなると思います。
モリゾーおじいさんがこかしてくれたコナラから薪作り
 今日の最高気温は、13℃、先月2日の15℃以来のぽかぽか陽気でした。
 午前中は、昨秋に「こかして(切り倒して)」おいたコナラの木から薪作りです。シイタケ用の原木作りは、まだ少し早いと、もっぱら直径10センチ以下の先に枯葉のついた小枝ばかり相手に奮闘しました。

 本当は、枯葉のついた枝があって、4月頃に、ちょうどよい乾き具合になるようです。
 でも、自分の作業能力では、春先に始めたのでは、とても間に合わないと考えて、今日少しやってみたのです。
 枝の先に、すっかり氷ぽくなった雪が少しでものっていると、どれだけひっぱってもびくともしません。おまけに、お昼近くになってくると、足元がぬかるんできて仕事になりません。
 まあ、気持ちだけ体を動かしたと言うところでしょうか。 

 実は、30本以上(推定)ものコナラの木を「こかした」のは、近所の84歳のおじいさんです。
 わずか2日間で、端から順番に同じ方向にきちんと重ねながら、切り倒してくれました。自分は、倒れてきても大丈夫なところで、見ていただけです。

 ほとんどの木が、直径30センチ前後の木で、倒れるときには、ミシミシドスンとものすごい音がして、怖い気がしました。
 せっかくの敷地内の木が半減してしまう、と心が痛みもしました。
 でも、野菜畑が日陰になると、わが奥さんやら、隣のご夫婦からの厳しい指摘があって、覚悟を決めたのでした。

 それに、今切って貰わないと、そのうちみんな年を取って、やってくれる人がいなくなるという不安もあります(今でもおじいさんは「年取っている」のに)。
 切りながら<おじいさんは「年を考えろと、ばあさんが家でおこっとる」と楽しそうに言っていました。

 わが奥さんも
「頼むのはいいけど、ケガでもしたら大変だよ」
と脅したけれど、
 まあ、あの身のこなしなら怪我などするわけ無いぞ、
と心ひそかに自分を励ましたもでした。(天地にかけて誓うけれど「切ってあげようか」と、おじいさんのほうから言ってくれたのです。こちらから、話題にしたわけではありません。)

 実際、木の世話をする森の妖精みたいなもので、愛知万博のモリゾーのモデルは、このおじいさんだと断言したくなります。
 よく言われることですが、こういうおじいさんたちがいなくなったら、日本の山や森は、本当にどうなることでしょう。

 それにしても、なにかをしてもらったりしたりすると、そのぶん、またまたやらなければならない仕事が出現します。田舎暮らしは本当に忙しいのです。

消えた昭和29年の10円玉
「子どもの頃、お母さんに留守番を頼まれたことがありました。
 『新聞屋さんが来たら、これで払って、おつりをもらっておいてね』

 本当に新聞屋さんが来て、おつりの10円玉を、2つ右手にのせてくれました。
 見ると、その1つが、昭和29年の10円玉だったのです。どきっとして新聞屋さんのようすをうかがったけれど、新聞屋のおじさんは、何も気がつかないみたいでした。そのまま玄関を出て行ってしまいました。」

 ある日、先生が授業の合間に、そんな話をしてくれました。
「昭和29年の10円玉には、黄金が入っているから値打ちがある、というのが、そのころ子どもたちのあいだのうわさでした。
 その年に作られた枚数が少なくて、コインとしての値段が高い、ということは、大人になってから知ったことです。
 今では新品なら、1万円くらいするみたいです。ともだちのだれもが、お小遣いをもらったときや、買い物の時には、必ず確かめるようにしていましたが、だれも見つける事はできないままでした。

 そうだ、お母さんが帰って来たら、自分の持っている10円玉と交換してもらおう、あした、みんなに見せるんだ、そう思いました。
 それで右手にしっかり握って、茶の間に入りました。といっても小さな家でしたから、ほんの少し歩いただけです。
 そして、コタツの上で、しっかりにぎっていた手を開きました。

 ところが10円玉は1つしかありません。
 それは、昭和26年の10円玉のほうでした。昭和29年の10円玉はどうしても見あたりません。
 あわてて玄関までもどって、それから行ってないはずのトイレや台所までも探しました。でも、どうしても見つかりませんでした。

 『そういうふうにいつもそそっかしくして、なくしてばかりじゃないの。もっと気をつけなさい。本当にきちっと探したの』
 やがて帰ってきたお母さんの前に正座させられてしっかりお説教です。

 いろいろ関係ないことまで持ち出されて、叱られていると,突然目の前の空中になにか小さな黒いものが現れました。
 空中から湧き出してきた、という感じでした。
 そして、お母さんのひざもとに落ちました。

『お金を投げる人がありますか。ひどいね・・・。
でも、投げたようには見えなかった。変なことがあるもんだね。これからは気をつけなさい。』

 それで、許してもらえました。
 見せてもらうと、確かになくしたはずの昭和29年の10円玉でした。

今でも,どうしてなくなったかも、またどうしてあんなふうに目の前の空中から湧き出してきたかもわかりません。・・・」

 そこまで話すと、先生は少し黙ってから、
「ところで、3択です。
 空中から出てきた昭和26年の10円玉はその後どうなったでしょうか。

 第1は、お母さんが財布に入れていて、いつのまにか使ってしまった。
 第2は、自分の持っている10円玉と交換してもらって、大切に持っていたけれど、学生時代、バスに乗ったらお金が足らなくて、バス代に使ってしまった。
 第3は、交換してもらって,今も大切に持っている。

 さあ、どれでしょう。」
 みんなが口々に答えて、いっぺんに、教室がにぎやかになりました。

 そうして、しばらくしたあと、
「今日,その10円玉を持ってきました。見たいですか。」

 そう言うと、急に静かになったみんなの前で、先生はズボンのポケットに入れた手を、しっかりにぎりしめたまま、みんなの前に差し出しました。
 それから、にぎりしめた手をゆっくりとみんなの前でひろげました。みんな息をこらして手の中を見つめます。 

 でも、手の上には何もありませんでした・・・。
「あれ、また消えてしまった」

 先生のお話は、これでおしまいでした。さっきまで、本当に先生のポケットの中に、10円玉はあったのでしょうか。

 ポケットにはなにも入っていなかった、と誰かは言っていましたが。

追記
 このお話は,10年くらい前に、なにかの雑誌でみかけた読者の投稿記事がもとになっています。
 本来なら引用先をここに記すべきですが、今となってはどうしてもわからないのでお許しください。
 なお、昭和29年の10円玉のところとか、最後のオチとかは、もとの話をもとに膨らませたものです。
玄関にいた白い蛇
 子どもの頃のお話です。

 ある日、学校から帰ると、お母さんに留守番を頼まれました。友だちと遊ぶ約束があるといっても、聞いてもらえません。
 しかたなく、しばらく家の中にいましたが、やっぱり遊びに行くことにしました。
 お母さんが帰ってくる前にもどっていればいい、と思いついたのです。

 それで、靴をはいて、玄関の戸をあけました。
 すると、そこに真っ白なへびがいました。そのへびはずっと前にも庭先で見たことのあるへびでしたが、前よりはだいぶ大きくなっているようでした。 ひたいの真中あたりの小さな赤い模様も、以前のままでした。
 そして、なによりもびっくりしたのは、鎌首をもたげ、赤い舌をペロペロトとさせていることでした。
 まるで、今にもとびかかってきそうに思えました。
 
 思わず玄関の戸を閉めて、家の中に逃げ込みました。
 でも、やっぱり遊びに行きたいと思いました。それで、靴を持って、裏の勝手口に行きました。そして、戸を開けました。

 すると、そこにも真っ白なへびが鎌首をもたげ、赤い舌ペロペロとさせていたのです。
 ぞっとして、あわてて戸を閉めましたが,ひたいの真ん中あたりの小さな赤い模様は、しっかりと目に入りました。

 いったいあれはどういうことだったのでしょう。本当にへびがいたのでしょうか。
 また、玄関と裏の勝手口のへびとは、同じへびだったのでしょうか。
 もし、そうだったとしたら、どうやってあんなに早く玄関から裏口へまわったのでしょうか。
 そして、あとから思ったのは、とほうもないことですが、遊びに行くのを何か理由があって、止めてくれたのではなかったかということです。

 でも、いまとなっては、遠い昔の子どもの頃の、奥さんの思い出話です。

 
 追記
 本日,2時間近くもかかって「消えた昭和29年の10円玉」のお話を打ち込み,最後のオチまで来たところで、画面の上のほうになにかマドワクが出た。
 よくわからないまま、なにげなくENTERキーを押したら、お話が全部消えてしまった。どうしたら復元できるかもなんにもわからない。

 ガイドブックを買ってから2ヶ月近くでようやくブログを始めることができた自分のレベルからすれば、それもしかたがないけれど、でもあの2時間の努力はどこへいってしまったのだろう。
 もともとのネタがずっと昔の雑誌の他人の投稿記事だったせいだろうか。でもずいぶん独自にお話をふくらまして、子どもたちにも人気のお話だったつもり。
 それはともかく、お話するのだったら、かなり自由にしゃべっていけばいいけれど、文章にするのは本当にむつかしい。
 あらためて、打ち直す気にはとてもなれなくて、今日はこちらの話にしたけれど、結局、また2時間近くかかってしまった。
 それにしても「消えた『消えた昭和29年の10円玉』のお話」ではお話にもならない。
今朝は―16度
 建物南側におととしの秋に設置したデッキは、昼なかは愛犬ソラの遊び場です。
 ある親戚からは、犬のためだけにデッキを作った、などとありえないうわさを流されました。でも、本人(本犬)は気が向くと、駆け足で自主トレに励むなど、とても役立っているのです。

 今朝もまだ、屋根から落ちてきた雪がとけずに残っています。数日前のソラの軽い下痢は、その汚い雪の食べ過ぎだったのかもしれません。
 とにかく食いしん坊で、年末には水仙の球根による中毒事件のため、年金生活者にはとても手痛い出費をしいられたばかりなのです。
 その話はいずれまた・・・。
 たとえ聞いてもらえなくても、話さずにはいられない、とても悲しくて情けない事件ですから。

 さて、デッキの最低最高温度計が、今朝は最低気温―16℃を記録しました。今月上旬に2回記録して以来です。
 県下では、軽井沢での−11.5℃が今朝の最低だったとNHKの気象情報。
 温度計を百葉箱に入れてあるわけでなくて,まったくの露天とはいえ、当地の寒さはたいしたものです。
 12月にも少なくとも−17℃が1回、―16℃が2回あって、地元の63歳男性は
「生まれて初めての寒くて大雪の12月」
と言っていました。
 田舎暮らしの1年目というのに本当に手ごわい歓迎ぶりです。
 明朝も同じように冷え込むとのこと。光熱費節約のために、やむを得ず明日も朝寝坊します。
 
いえ、あのー。先生,チャックが・・・。

 
 その日、なぜか教室の誰もが、ニコニコしていて楽しそうでした。
 もう、何十年も昔のお話です。

 《えらい今日はノリがいいな。やっと数学の良さがわかってきたんだろうか。そうか、教え方がうまくなったんだ。》
 勝手にそう思ったりしながら、ラーパー先生はますます張り切りました。

 そして、授業を終わって廊下に出ると、
 「先生・・・」
 後ろから呼び止める声がします。
見ると、真剣な面持ちをした生徒が二人・・・。

「どうした。そうか質問か。どんなことでもいいぞ。えらいな。」
「いえ、あのー。先生、チャックが・・・。」

「えっ、チャック・・・。わっ、しまった・・・。知らんかった・・・。まさか。ずっとこの格好で授業をやっとった・・・。」
「はい、じつはそうなんです。」
「なんで、はやく教えてくれんかった。」

 あわててあげながら、思わずそう言うと、
「だいじな先生にみんなの前で恥をかかせるわけにはいきませんから・・・」
 《そんなー、1時間中ずっと恥をかいてたのに・・・》

 まことに思いやりのあるやさしい生徒たちでした。