ラーパーさんの「花の谷」だより 

ブルーベリー園花の谷のブルーベリー狩りは8月12日まで、13日で閉園しました。
令和元年は、7月6日の開園でした。
7月の長雨と、そのあとの暑さで、ブルーベリー狩り、順調とは言えませんでした。
それでも、なんとか閉園までこぎつけることができました。
ありがとうございました。

なお、雨天傾向の日は、長靴かサンダル、レジ袋2枚、上下雨ガッパ等、準備をしておいでください。
暑い日には、麦わら帽子などの用意が必須です。
麦わら帽子は、無料でお貸しすることもできます。

摘み取り期間中のみ、園内でのワラビ採りも可です。(料金は入園料に含まれています)。
今年も「ブルーベリー畑巡り」をやりました。。7つの畑から文字を集めると、粗品の木のカケラ(ほんとうに粗品です)がもらえるというものです。

雨天の日のみ休園します。
ですが、遠くから来る人が多いので、雨天でもやってることが多いです。電話をしてみてください。
月曜日もやってます。
予約不要です。9:00~15:00の開園。最終閉門は15:30です。
来園の場合は、このブログなどで、確認してからお越し下さい。

問い合わせは

スマホでとすると、グーグルでも、ヤフーでも、ピンポイントで、来ることができます。

グーグルでは「ブルーベリー花の谷」とすると、「売木村の観光名所」などと、360度の写真や地図まで出るようになりました。

4.5と高評価まで出ています。ありがたいことです。

検索「食べログ 花の谷」でも、地図などが確認できます。

入園料は
大人 ミニコース(摘んで食べる。ミニパック付き) 500円
大人 大コース(摘んで食べる。大パック付き) 1,000円

小中学生 パックなしコース(摘んで食べる。ミニパックなし) 200円
小中学生 ミニパックコース(摘んで食べる。ミニパック付き) 300円
小中学生 大パックコース(摘んで食べる。大パック付き) 700円

幼児は無料です。ミニパック付きは100円。

自園産ブルーベリーと砂糖だけの
「手作りジャム600円」
を製造販売しています。
売木村ふるさと館、売木村こまどりの湯で、600円で販売しています。

なお、収穫済み実入りパックの販売は、しておりません。

名古屋、豊田方面からは、国道153号です。
平谷村から売木村を目指して、国道418号を平谷峠越えして降りてきます。

期間中は、看板と、ノボリ旗が出ています。

浜松、豊橋方面からは、役場を目指して来て、ふるさと館などで聞いてください。

どこからでも2時間前後です。

浜松方面からは、いなさICから1時間ほど、近くなりました。

スマホがない場合、ナビは、ピンポイントでは連れて来てくれません。

山奥なので、園の前の村道が、出てないこともあります。

その場合、まず売木村に着いて、あとはのぼりと矢印看板が頼りです。



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工場長がまわって来る
 

その日、午後になって、工場の中はいつもとは違う雰囲気になりました。「ピーンと張りつめた」という表現があります。月並みと言われても、やはりそういう表現そのものでした。

学生時代の春休み、どうしてそんなところへ、バイトに行ったものだったのか、普段とは別の世界を経験してみたかった、ということだったかもしれません。
バイト代がもらえるばかりでなく、泊まり込みで飯代が浮くことが、魅力だったようにも思います。

染織され大きな巻物となった織物が広げられ、幅の広いベルトコンベアのように、目の前を流れて行きます。織物の向こう側の中年の女の人とペアを組んで、キズやヨゴレを見つける仕事でした。

見つけたら、相手の女の人に知らせます。女の人は機械を停めて、織物の端に付箋をつけて、ふたたび機械を動かします。また、ひたすら検査を続けるのでした。
ケンジュウだったかなんだったか、そんなような言葉がありましたが、それももう忘れてしまっています。

「どうだ、なんともないか」
休憩時間に男の従業員から、からかい半分に聞かれたことがありました。ペアを組まされた女の人が、工場の中でどんなふうに思われていたか、わかる言葉でした。

たぶん、独身だったと思います。言葉を交わすこともほとんどありませんでした。

でもまあ、自分も話が苦手、暗い感じの若者でしたから・・・。

そんなある日、工場長が回ってくることになったのです。、

でも、初めて見る工場長は、自分が勝手に想像していたイメージとは、全く違っていました。偉そうなところとか、怖そうなところとかはまったくありませんでした。
初老で細身の体、例えて言えば技師、とでもいった感じの人でした。

工場長は真剣な顔つきで、丁寧に織物を調べていました。そして、一緒に来た人と少し言葉を交わし、しばらくするとよそへ行ってしまいました。

たったそれだけのことでしたが、世の中にそういう人がいるんだと、長く心に残りました。

その年昭和46年、2月初めに大きな航空機事故があって、そのあと3月4日、5日と、また羽田空港と富士山付近とで、大きな航空機事故がありました。
3月の事故は工場で知ったのでした。










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