山の病院に行ってたとき
今から70年ほども昔のことです。
幼稚園の時だったか、小学校に入ってからのことだったか、今となっては確かめることもできません。
「家にいってみたら、だれもいなかった。これはもう全滅か、と思ったなあ」
のちになって、叔父がそんなことを言っていたのを、覚えています。
大腸感染症の赤痢にかかって、父以外の家族が、郊外の病舎に隔離されたのでした。
「ブドウなんて、ブドウ糖のかたまりだから、赤痢菌がいたわさ」
たまたま父が留守の時に、みんなで食べたのだったでしょうか。
母にしてみれば、珍しいものを、子どもたちに食べさせてやろう、と思ったのでしょう。
父は後々まで、ブドウを口にしようとはしませんでした。
赤痢と書きましたが、疫痢の状態で、自分も妹も生死の境をさまよったようでした。
でもなぜかふたりとも、かろうじて生返って、細く長くこの年まで生き延びています。
当時は、今のように清潔な店先ではなくて、天井からはハエ取り紙がぶら下がっていました。
皿に置かれたブドウのあたりを、ハエが飛び回っている様子が、思い浮かびます。
隔離された郊外の病院、古い木造の建物でした。
紙飛行機を飛ばして、遊んでいたようすを、わずかに覚えています。
「あの人はねえ、冷麦を食べるのでも、沸かした湯を冷ましたので、食べてたというよ。
それくらい気をつけていても、かかる時はかかるんだねぇ。」
どこかのおばさんが、母にそんなふうに話していたのは、その時だったでしょうか。