信州、松本の旧制高校記念館は、県(あがた)の森公園の中にありました。といっても、旧制高校ゆかりの年代ではありませんので、そこのところは、お間違えのないように、厳重にお願いします。
自分が生まれてわずか数年後に、旧制高校はなくなったのだ、と思います。
その旧制高校で、生徒以上に青春を謳歌して、旧制高校に殉じ、そのあとは小学校の代用教員になった数学教師、蛭川幸茂先生のことは、昨年4月28日の当ブログに書きました。自費出版本『ラーパーさんの「花の谷」だより(パレード社、1000円)』にも、ちゃんと載せてあります。
30数年前、教師になった頃、北杜夫の「どくとるまんぼう青春記」で知ったのだったのか、蛭川先生の「落伍教師」は座右の書となりました。
おかげで、確かに自分も、「教師落伍」にまでは、かろうじてならなかったけれど、「落伍教師」でありつづけたのでした。
なのに本そのものは、人に貸してどこかへ行ってしまったのでした。
ブログには、何人もの人から、コメントをいただきました。
コメントの来ないブログとして有名な当ブログとしては、とても珍しいことなのです。なにしろいまだにコメントが来るのです。
そのコメントの中で、TIさんから、松本市に行くと「落伍教師」の復刻版が手に入る、と教えていただいていました 。
同じ長野県にいても松本に行く機会など、なかなか、なかったのですが、先日、ついに宿願を果たすことができました。
「あがたの森」というのは、どうやら旧制松本高校の跡地にあるようでした(松本市の方々、笑わないで下さい)。それらしい校舎風の建物がありました。たくさんの巨木のそびえる公園になっていて、グランドもありました。
もしかしたら、ヒルさんたちが走り回っていたグランドかもしれません。(30数年間、蛭川先生の本を見ていなかったのです。「あがた」と言う言葉は、記憶がありました。)
記念館に入って、すぐに復刻版を見つけました。1冊1,000円という格安の値段でした。たぶん、自費出版でしょう。ところが、中は細かい字でぎっしり、400ページ近くもあります。
なお、上の写真の肖像画は、晩年のヒルさんでしょう。学級の子どもたちに囲まれたひげづら、丸坊主、眼光鋭いヒルさんの写真をぜひ見て欲しいものです。もちろん、昔のこどもたちの顔、顔も・・・。
それはともかく、代用教員として、旧制高校から新村小学校に行ったときのことが、今、目につきました。
『教室でほとほと手を焼くと、大月教頭に相談に行った。
すると、「まあそういわナンデ、思うようにやりマショ」という答えが返って来た。それに気を得てやって見るが、どうしてもうまく行かない。又相談に行くと、同じ答えだ。・・・』
どうですか、若き先生方、蛭川先生でさえ、そんなでしたよ。
北杜夫は、帯に書いています。自分の言葉で書くとよいのですが、少しだけ引用します。
「これほど天衣無縫な人生の記録も少ないであろう。・・・ベラボーにおもしろく、破天荒なこの記録は、世の教師や学生やその親たちに、目を洗う気持ちを起こさせるにちがいない。常に青春を呼びよせる、ひたむきで野生的で純粋な魂がじかに伝わってくるからだ」
時代が変わっても、いや変わったからこそ、多くの人に読んでもらいたい本です。
少しずつ楽しみながら、読んでいくことにします。