「猫の恩返しって、本当にある、と思った。お袋とそう言って話している」
同世代、つまりの60代のとつとつとした話し方をする人から聞いたお話です。お母さんは、90過ぎ、大正生まれのようです。
「飼っていたぶち猫が死んだら、家の中にいたねずみたちが、戸が開いているのに、外へ出られなくなってしまった。
家の外にいたねずみは、外を走り回っているのに中へは入って来れない。猫が恩返ししていったんだ」
オスのぶち猫だったようです。
「どうして恩返しなんですか。ぶち猫はどうして死んだんですか。」
少し混乱してしまいました。
「家の中のねずみは、外へ出られずに死んでいく。えさになるものは片付けるようにした。
外のねずみは中に入ってこられないから、もう家の中にねずみはいなくなった。夜、静かすぎて変な気がする」
「今の家には、家があるあいだは、もうねずみが入ってくることはない。本にもかいてあったし、人から聞いたこともある。人に話しても誰も信用してくれんけど、本当にそういうことがあるんだ。」
平成の時代です。そんなに簡単に真に受けるわけにはいきません。それに、話の全体像がまだよくつかめないのです。
「そんな本があるんですか。聞いたってことですが、そういう話が売木にはあるんですか」
「いや、売木でなくてよそで聞いた。前に読んだ本の片隅にも四角に囲って載っていた」
今はもう、その本は手元にはない、とのことでした。とても残念なことです。
「病気になって、獣医さんが、注射をしても間にあわんだろうといって・・・。ひざの上で死んでいった。去年の秋だ。
6年くらい前にうちに来て、もう猫は飼いたくないと思っていたから、お袋がえさをやるのを、なんでやるんだと見ていた。それが居ついてしまって・・・。」
「飼ってくれた恩返しに、ねずみの居ない家にして行ってくれた、と言うことですか。猫って、そんなことができるものですか。どんな色のぶち猫だったんだろう。」
「黒と茶のぶちだった。それまでに飼った猫はそんなことはなかった。そういう力をもった猫がたまにいるんだ」
我が家とは違って、猫派の人のようです。でも、我が家のコーギー犬「ソラ」には、家に来るなりやさしくなでなでしてくれました。
「ふーん。何匹も飼ってきたんですね。でも、その猫はどうしてそんな力を持ってたんだろう。どこかで修行でもしてきたんだろうか」
「そうだと思う。」
冗談で言ったことが、本気で返ってきました。まさか。
「ねずみを捕って食べるときでも、何も残さずきれいに食べていた。普通は胃だとかなにか残したりするんだけど・・・。新聞紙の上にねずみを置いてやると、新聞紙をきれいなままにして食べた。血も残さ
なかった。」
特に冬になると、野山のねずみが家に入ってくるようです。
どこの家でもサッシになって、かじって穴を開けることはできなくなったけれど、戸が開いているすきに入ってくるみたいで、ねずみはなじみの生き物といってよいでしょう。
「食べ物はやったものしか食べなかった。そのへんに食べ物があっても勝手に食べたりはしなかったなあ。よほど修行した猫だったんだ。
魚が好きで、養魚場で鱒を買ってきて食べさせたり、飯田へ出かけたときは刺身を買ってきて食べさせた。」
「死んでしばらくした夜に、障子の桟のところでコチコチ、コチコチと柱時計のような音がして、布団に入ったけど、気になって起きていって、障子を少し叩いたら止んだ。あれもぶちがなにか知らせてくれた気がする」
その人の家に入ったことはありませんが、外から見ると古いたたずまいの家です。
その猫がいるうちは、ねずみたちも普通に家の中で暮らしていたようです。神通力があるにしては・・・と思いましたが、食べる分が捕れるようにわざと住まわせていたのでしょうか。
「いちど、喧嘩でもしたのか大怪我をして帰ってきたことがあった。手当てしてやって寝かせておいたら、いつのまにかどこかへいってしまって、お袋ともう死んでしまったろうか、と話していたら、10日位してすっかり直して帰ってきた。」
なんだか自分も本当の話のような気になってきました。少しわかりにくい語り口のせいもあったかもしれません。
でも、そんな断定できるように、猫やねずみの世界が、この人には見えるのでしょうか。
「村中に遊びに行くことが多くて、軽トラで通りかかって、連れ帰ることもよくあった。助手席に乗せると普通は暴れまわるけど、きちんと座って外を見ていた」
「お墓に石碑を立ててやろうと思っている。」
その人はそんなふうに言っていました。
まだ、つい先日、2010年の2月に聞いたばかりのお話です。