ラーパーさんの「花の谷」だより 

2016年のブルーベリー狩りは、7/1~8/10でした。

2017年も同じようにできると良いのですが、お天気次第です。

雨天休園。予約不要です。9:00~16:00の開園。

来園の場合は、このブログなどで、確認してからお越し下さい。

問い合わせは 090の7862の4605

スマホで「売木村45-530」とすると、グーグルでも、ヤフーで

も、ピンポイントで、来ることができます。

検索「食べログ 花の谷」でも、地図などが確認できます。

料金は
大人Aコース(摘んで食べる。ミニパック付き) 500円

大人Bコース(摘んで食べる。大パック付き) 1000円

小中学生コース パックなし 200円

の3種類です。 幼児無料

自園産ブルーベリーと砂糖だけの
「手作りジャム」
を製造販売しています。

なお、収穫済み実入りパックの販売は、しておりません。

名古屋、豊田方面からは、国道153号です。
平谷村から売木村を目指して国道418号を平谷峠越えして降りて、きます。

期間中は、看板と、ノボリ旗が出ています。

浜松、豊橋方面からは、役場を目指して来て、ふるさと館などで聞いてください。

どこからでも2時間前後です。

浜松方面からは、いなさICから1時間ほど、近くなりました。

スマホがない場合、ナビは、ピンボイントでは連れて来てくれません。

山奥なので、園の前の村道が、出てないこともあります。

まず村に着いて、あとはのぼりと矢印看板が頼りです。


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大きく悲鳴をあげた


円柱状に地中深くまで続くらしい、暗くて底知れぬ穴の脇に、自分は立っていました。

地上なのか、穴の途中なのかは、わかりませんでした。

突然、ガラスの破片のような、するどい割れ目が、いくつもあるなにかを、両手でかかえていました。

「今から危険なものを落とす。気をつけてくれ。手を出すな」

穴深く、はるか下にいる仲間に、声をかけました。

そこに、相棒とでもいうか、かけがえのない仲間かいることは、知っていたのでした。

危険なことがわかっていて、どうしても手を放さなければならなかったのです。

自分ではなく、何か別のものの意思によるようでした。

「落としたぞ。だいじょうぶか」

「切れたみたいだ~」

地中深くから、声が返ってきました。

「う、わ〜」

思わず声を上げてしまいました。

鋭利すぎる切り口が、脳裏にうかびました。

みるみる切り口は広がって、致命傷が顕在化するに、違いありませんでした。

それは想像することのほうが、恐ろしいのでした。

自分の大きな悲鳴で、目が覚めました。

眠っていて、自分の声で目が覚めるなど、これまでにあったでしょうか。

その日の朝、偶然にも新聞で、漱石の夢十夜についての記事を、見つけました。

実際に、漱石が夢を見たわけではなく、フィクションだそうです。

でも、自分は夢を見て、自分の悲鳴で目を覚ましたのでした。




黒髪の首が落ちていた
 

「だいぶ薄暗くなってきた夕方、うちの旦那が車を走らせていたら、向こうの方になにか落ちてたんだって・・・」
もうずいぶん昔の話になります。ある同僚の女性が話してくれました。

「他に走ってる車もなくて、なんだろうかなあと思いながら近づいて行ったら、それが黒い髪の毛の女の人の首だったていうの・・・。
足が震えて震えて、思わずわたしの名を叫んだそうよ」

それはびっくりするでしょう。確かに茶髪よりは黒髪のほうが、気味悪い気もします。でも、そんな時に、奥さんの名前を叫ぶものでしょうか。

「それがねえ、わたしその時家にいたんだけど、確かに旦那の呼ぶ声が聞こえたんだよ」

「そしたら、マネキンの首だったって・・・。道路にマネキンの首を落していくなんてねえ」

ずっと会ってないけれど、お元気でしょうか。

なんでも、ご主人はセールス関係の仕事をしているとかでした。恐ろしく口下手で寡黙とか・・・、まあ喋らせてもらえないのだろうと想像しましたが、もちろん黙っていました。

「ふーん、口下手でセールス関係なんて、大変でしょう」
「それがねえ、口下手だから、かえって信用してもらえるみたい。成績もいいほうらしいよ」

それって、あるかも知れない、と思いました。
女将が襖を開けた時


「ここって、来たことがあるんだろうか」
温泉街の小さな古い宿の前で、そう思いました。

もちろん、来たことなどあるはずもありませんでした。そして、今日と違って、映像などで宿の様子をあらかじめ見る機会も、ほとんどあり得ない時代でした。

でも、和風の庭の宿のたたずまいは、確かに以前に見たことがある、と思えて仕方ありませんでした。既視感、デジャヴというのは、あのようなものなのでしょう。

今から50数年も昔、中学生の時のことです。
生まれて始めての家族旅行で、平湯温泉に行ったのでした。その年の4月から、父が飛騨の山奥へ単身赴任していて、それでささやかにして画期的な家族旅行が成立した、と思っています。

実はその日の昼、バスで乗鞍登山をして、ひとり自分だけ、体調を崩していたのでした。
なにしろ、前期初期高齢者のこの年まで、一貫して蒲柳の質だったのです。

部屋に入るなり布団に寝かされてしまいました。せっかくの、日頃の暮らしからすれば途方もないご馳走(だったろうと思います)も、食べられませんでした。

「どうですか、おかげん。大丈夫ですか」
宿の女将さんだったのでしょう。入り口の襖が開いて、正座した中年の女の人が、顔をのぞかせました。

「あっ、この光景、夢で見たことがあったんだ」
布団の中で、突然気がつきました。何日も前、本当に夢で見た光景でした。

いわゆる予知夢とでもいうのでしょうか。もちろんそのような言葉など知る由もなく、口にこそ出さなかったけれど、ただ不思議に思いました。

そして、かくも恐怖に満ちた不可思議な体験をしたにもかかわらず、体調はといえば、翌日にはすっかり回復して、家族とともに、何事もなく無事に家に帰ることができたのでした。

マツタケが豊作だと地震になる?
 

「マツタケが豊作の翌年は地震が起きるって、言ってたよ」
「あっ、それってあるかもしれない。シイタケの原木を金づちでたたいてやると、よく出るっていう。」
夕方、そんな会話になりました。
「台風で株元が揺すられると、マツタケがよく生えてくるというのも聞いたことがあるもんなあ。キノコは振動を与えると発生しやすいらしいよ」


大きな地震の前には、人体には感じないような小さな地震が何度も発生していて、それをキノコの菌糸が感じる、ということはありそうに思えます。

「暑い夏のあとには大地震になる。関東大震災の年も暑かった。」
というのは、関東大震災を経験した人からよく聞かされました。

確かに、阪神大震災の前の年も、それから東日本大震災の前年も暑い夏でした。
もちろん、暑い夏のあといつも地震が起きるわけではないでしょうが、地殻の変動で熱が発生するのかもしれないなどと、想像を逞しくしてしまいます。

「けっこうみんな言ってますよ。自分は納得してますけどね・・・」
翌日、その話の人に偶然会ったので、早速、出どころを聞いてみました。どうやらそういうことが言われているようでしたが、それ以上確たる話は聞けませんでした。

でも、一昨年、2010年秋が近来稀に見るマツタケの豊作年であったことは確かです。自分も近くのお兄様に連れられて山に入り、子供の時以来何十年ぶりでマツタケを一本ゲットしたものでした。
そして、5ヶ月後にあの大地震が・・・。

夏の終わりに雨が多かったから、と思っていましたが、雨の多い年ならよくあることで、そのたび豊作にはなっていないと思います。
まあこういう話は、実証不可能、単なる俚諺と片付けるべきでしょうが・・・。

そう、今年はいまのところマツタケは豊作でないようです。それは残念なことですが、大地震がなくてすむなら、原発のことだっていまだにとても心配ですし、そのほうがいいのです。
空き家のはずなのに灯りが・・・・


一人暮らしのおばあさんが亡くなったあとは、訪れる人もなく、朽ちるままになっている一軒家があったそうです。

ところが、ある日、森の奥の、その一軒家とおぼしきあたりから、チラチラと灯りが・・・。

気味が悪いままに何日かが過ぎて、さすがにほって置けないことになりました。

それで、明るい日中、何人かでその家に行ってみました。中に入ってみても、誰かがいた気配は全くなくて、部屋の真ん中で、電灯だけが点いていました。

そして、電灯からは長いひもがほとんど床すれすれにまで、垂れ下がっていました。

結局、ネズミか何か、動物がひもに引っかかったかして、電灯のスイッチが入ったろう、ということになったそうです。

ほんとうに? 猫の恩返し
 「猫の恩返しって、本当にある、と思った。お袋とそう言って話している」
 同世代、つまりの60代のとつとつとした話し方をする人から聞いたお話です。お母さんは、90過ぎ、大正生まれのようです。

「飼っていたぶち猫が死んだら、家の中にいたねずみたちが、戸が開いているのに、外へ出られなくなってしまった。
 家の外にいたねずみは、外を走り回っているのに中へは入って来れない。猫が恩返ししていったんだ」
 オスのぶち猫だったようです。

「どうして恩返しなんですか。ぶち猫はどうして死んだんですか。」
少し混乱してしまいました。

 「家の中のねずみは、外へ出られずに死んでいく。えさになるものは片付けるようにした。
 外のねずみは中に入ってこられないから、もう家の中にねずみはいなくなった。夜、静かすぎて変な気がする」

「今の家には、家があるあいだは、もうねずみが入ってくることはない。本にもかいてあったし、人から聞いたこともある。人に話しても誰も信用してくれんけど、本当にそういうことがあるんだ。」
 平成の時代です。そんなに簡単に真に受けるわけにはいきません。それに、話の全体像がまだよくつかめないのです。
 
「そんな本があるんですか。聞いたってことですが、そういう話が売木にはあるんですか」

「いや、売木でなくてよそで聞いた。前に読んだ本の片隅にも四角に囲って載っていた」
今はもう、その本は手元にはない、とのことでした。とても残念なことです。

「病気になって、獣医さんが、注射をしても間にあわんだろうといって・・・。ひざの上で死んでいった。去年の秋だ。
 6年くらい前にうちに来て、もう猫は飼いたくないと思っていたから、お袋がえさをやるのを、なんでやるんだと見ていた。それが居ついてしまって・・・。」

「飼ってくれた恩返しに、ねずみの居ない家にして行ってくれた、と言うことですか。猫って、そんなことができるものですか。どんな色のぶち猫だったんだろう。」

「黒と茶のぶちだった。それまでに飼った猫はそんなことはなかった。そういう力をもった猫がたまにいるんだ」
 我が家とは違って、猫派の人のようです。でも、我が家のコーギー犬「ソラ」には、家に来るなりやさしくなでなでしてくれました。

「ふーん。何匹も飼ってきたんですね。でも、その猫はどうしてそんな力を持ってたんだろう。どこかで修行でもしてきたんだろうか」
「そうだと思う。」
冗談で言ったことが、本気で返ってきました。まさか。

「ねずみを捕って食べるときでも、何も残さずきれいに食べていた。普通は胃だとかなにか残したりするんだけど・・・。新聞紙の上にねずみを置いてやると、新聞紙をきれいなままにして食べた。血も残さ
なかった。」

 特に冬になると、野山のねずみが家に入ってくるようです。
 どこの家でもサッシになって、かじって穴を開けることはできなくなったけれど、戸が開いているすきに入ってくるみたいで、ねずみはなじみの生き物といってよいでしょう。 

「食べ物はやったものしか食べなかった。そのへんに食べ物があっても勝手に食べたりはしなかったなあ。よほど修行した猫だったんだ。
 魚が好きで、養魚場で鱒を買ってきて食べさせたり、飯田へ出かけたときは刺身を買ってきて食べさせた。」

「死んでしばらくした夜に、障子の桟のところでコチコチ、コチコチと柱時計のような音がして、布団に入ったけど、気になって起きていって、障子を少し叩いたら止んだ。あれもぶちがなにか知らせてくれた気がする」
 その人の家に入ったことはありませんが、外から見ると古いたたずまいの家です。

 その猫がいるうちは、ねずみたちも普通に家の中で暮らしていたようです。神通力があるにしては・・・と思いましたが、食べる分が捕れるようにわざと住まわせていたのでしょうか。

「いちど、喧嘩でもしたのか大怪我をして帰ってきたことがあった。手当てしてやって寝かせておいたら、いつのまにかどこかへいってしまって、お袋ともう死んでしまったろうか、と話していたら、10日位してすっかり直して帰ってきた。」

 なんだか自分も本当の話のような気になってきました。少しわかりにくい語り口のせいもあったかもしれません。
 でも、そんな断定できるように、猫やねずみの世界が、この人には見えるのでしょうか。

「村中に遊びに行くことが多くて、軽トラで通りかかって、連れ帰ることもよくあった。助手席に乗せると普通は暴れまわるけど、きちんと座って外を見ていた」

 「お墓に石碑を立ててやろうと思っている。」
 その人はそんなふうに言っていました。

 まだ、つい先日、2010年の2月に聞いたばかりのお話です。







 
不思議なことって、あるもんだ


「ダムのところの道を通ったらねえ、太いマキの木の枝に、お月様、3つぶんくらいの大きさのまるい輝くものがあったんだわ。」
 ダムは、我が家のすぐ近くにあります。キャンプ場がありますが、そのころはキャンプをする人はいても、キャンプ場はまだ整備されていなかったといいます。

「10年位前のことだわ。平谷峠のほうに、車でも停まっていて、そこからの光りかとも思ったけど、それにしては明るすぎたし、確かにマキの木の枝にあったでねえ。ものすごく明るくて、まわりの葉っぱ、一枚一枚がはっきり見えた」
 マキの木とは、コナラの木のことです。話してくれたのは、60代くらいのお姉さん、きちんと返事が返ってくる人で、とてもいい加減な話をしているとは、思えませんでした。

「お父さんと、なんだろう、こんな不思議なものが、ほんとうにあるんだねえ、と言いながら、その下を通り過ぎて、ふりかえって見たけど、もうなんにもなかった。
夜になってからのことだわ。あのころは、売れ残ったものを、夜になってから受け取って、帰ってたからねえ。
 夜釣りの人で、ダムの水の上を渡っていく大きな火の玉を見たという人もいるよ。水面に波がたつのがはっきり見えたというでねえ。
 なんか、あそこは出るみたいだよ」

「それは、生霊だわ。あそこは、ダムを造るときに人柱を埋めたというでねえ。そうすると、しっかりしたダムができるといって、昔は、やったらしいよ」
 よこから合いの手が入りました。
 人柱なんて、あってほしくないし、たぶんそれはうわさに過ぎないでしょう。もっとちがうもののような感じがしました。

 どうも木の上の輝く球体と、湖上の火の玉とは、違うもののようにも聞きました。
それに、あんまりこんな話を流すのは、よくないかもしれません。ゆっくり、静かにキャンプができなくなっても、まずいでしよう。

 もちろん、ただちに現場へ、マキの木の写真を撮りに、軽トラを走らせました。そういう人間なのです。
 ところが、そこは山の北側の坂道、アイスバーンで、自分の運転技術では、春にならないと進入不可能の道でした。
 なぞの光る球体が、どこかで写真撮影を妨害しているのでしょうか。

 というわけで、輝く球体がとまっていたマキの木の写真は、春までお待ちください。そんな写真、見たければの話ですが・・・。
 とりあえず今日は、ダム湖の北側、陽の当たる道から撮った写真をUPです。
恵那山のシイタケ(2)


 標高2191メートル、子どもの頃、小学校の校庭から毎日眺めた恵那山の山頂をついに極めることができました。

 あの頃は、学校から帰ると、すぐにまた学校に引き返して、毎日、毎日、野球(もどき)ばかりしていたものでした。
 ときには、顔見知りの青年が通りかかって、バッターボックスに立ってくれることもありました。そんなときレフトは、いちばん深いところ、生垣ぎりぎりのところに守ったものでした。
 でも、打球はそんなレフトの頭の上を、はるかに飛び越えていったものでした。まるで、夕日に染まる恵那山にまで、飛んでいくかのようでした。
「こんなに大きなホームランが打てるのに、どうしてこの人はドラゴンズに入らないんだろう」

 大人になってから、校庭のあったところに行ってみたら、拍子抜けするほど狭い所でした。

 さて、頂上で、シイタケは入っていないけれど、とてもおいしいインスタントラーメンを食べて、夕方4時には登山口に戻ってきました。
 でも、タクシーの姿はどこにもありません。忘れられてしまったのかと思いましたが、まったくの山の中です。待つより仕方がありませんでした。

 5時を過ぎて、あたりがすっかり暗くなった頃に、ようやくタクシーが来ました。見ると、助手席にも誰かが乗っています。
「おそくなって、申し訳ありませんでした。」
 降りてきた運転手さんは、平謝りに謝りました。朝とは別の運転手さんでした。
「昼にシイタケと思って食べたのが、ツキヨタケだったみたいです。みんなが吐いたり下痢したりして、動けなかったんです。軽くてすんだ者ふたりで、どうにかお迎えにきました。ひとりでは、心配だったものですから・・・」
 
 朝、運転手さんからキノコをもらわなくて、本当に良かったと思いました。下山途中にでも、症状が出たら、大変だったでしょう。
 
 夜道をタクシーが走っていくと、途中で、ボーっと青白くなにかが光っているところが、道ばたにありました。
「来るとき、吐きながら来たものですから・・・。たぶんそのツキヨタケが光っているのだと思います。」
 ツキヨタケは、月夜茸と書きます。夜、青白く光る毒キノコだそうです。


 
恵那山のシイタケ
 

ある年の秋、友人2人と恵那山に登ったことがありました。恵那山は岐阜・長野県境にある東美濃の名山とされる山です。もちろん深田久弥の「日本百名山」にも入っています。
 伊勢湾の西側、三重県の海岸からもよく見えて、船覆山とも呼ぶそうです。フナガエリ山、確かになだらかな稜線のようすはそんな感じもしますが・・・。

 中央線の中津川駅から登山口までは、タクシーで行きました。荷物をチェックしたりしている間に、タクシーの運転手さんは近くの山の中に入っていきました。
 トイレだろうかと思っていると、しばらくして両手にいっぱいキノコを抱えて、出てきました。
「シイタケだわ。そこの木に生えとった。会社で昼のおかずにみんなで食べる。」

 まだ、キノコにはまったく狂ってない時代のことですが、とてもうらやましく思いました。山頂で湯を沸かして、三人でインスタントラーメンを食べる予定でした。野生のシイタケを入れたら、さぞかしダシのきいたおいしいラーメンができることでしょう。
 でも、もちろん、いくらあつかましくて、
「先生は恥を知らない」
と、言われたりもした身であっても、さすがに
「少しもらえませんか」
とは言えませんでした。

 念のために、言っておきますが、
「先生は恥を知らない」
という生徒の言葉は、人にモノをもらうなんて事ではなくて、教えていて疑問があれば、どこへでも平気で問いかけていったことに対しての言葉です。真実を追究することは、何も恥じることではありません。
 などということは、ここでは関係ありません。

 タクシーは中津川の町へ戻っていき、われら三人は恵那山への道を、登っていきました。タクシーには、夕方4時に、登山口まで迎えに来てもらうよう、頼んでありました。
(以下、明日に続きます。)
 
写真は玉村豊男さんのヴィラデスト
チョー簡単な鯉の捕獲法
 

「この頃、新川に鯉が増えたみたいだなあ。昨日、一晩寝ないで鯉の捕まえ方を考えついたぞ。教えてやろうか」

 ある日突然、先生が言いました。また例のつまらないギャグでしょう。教えて欲しくないと言ったって、話すに決まってます。大事な数学の授業はいつも簡単に済ましてしまう。まあ、それはいやじゃないけど・・・。
「鯉の滝のぼりってのを知ってるか。鯉は強くてたくましい。滝があるとすぐにのぼろうとするんだ。鯉を捕まえようとしたら、この性質を利用しない手はない。」
 別に、鯉を捕まえたいなんて、クラスの誰も思ってないと思うんだけど・・・。

「道具はバケツ一つ。簡単だろう。川の水をたっぷり汲んできて、橋の上から鯉のいそうな水面にぶちあけるんだ。それで鯉が捕まる。すごいだろう。」
 まさか、そんなことで鯉が捕まるなんて、本当にめちゃくちゃなんだから・・・。

「上から水が落ちてくるから、鯉は滝だと思ってのぼってくる。バケツの中の水はなくなって、かわりに鯉がバケツに入っているんだ。すごいだろう。鯉の性質を最大限有効に利用した捕獲法だぞ」
 馬鹿らしい。そんなことを一晩中考えるなんて、どういう頭をしているんだろう。やっぱり数学なんて、できない人のほうがまともなんだ。

 「水をぶちあけながら、滝だ滝だ、と教えてやったほうがいいかも知れんなあ。
やってみんか。けど、人に聞かれても、発案者の名前は出さんほうがいいぞ。自分の責任でやるもんだ」
 それで誰かがやったかどうか、むろん教室の話題にもなりませんでした。

写真は、ようやく大きくなり始めた当摘み取り園のブルーベリー