南信州の桜探訪3
「飯田市立美術博物館の安富桜」(06.4.9)
みぞれまで降ってきて、1月の金生山は、まるで日活のアクション映画の光景でした。(ふるい。なつかしい。)
6年生の卒業記念品に、おせっかいにも、化石にしたら、と口を出し、石屋さんのクレーン車で、成り行きで、採りに行ったのでした。
卒業記念品なんて、いまどき、子どもから、そんなお金を集めるのか、との声もあることでしょう。でも、本当に思い出になるものだったら、決して悪いことでもないのですが。
それについては、かねがね、自分は「卒業記念品三原則」なるものを、ひそかに作っていました。(なんとまあ、おおげさな)
それでつい、口出ししてしまったのです。すみません。
1 授業に、役立てられるもの
2 いつまでも、壊れずに残るもの
3 卒業後、学校に来た時、いつでも卒業生が見られるもの
化石って、この三原則にぴったりだ、と思いませんか。
でも、本当のこと言って、石ころなんかに、興味を持ってくれる人間なんて、本当に少ないのです。自分の知っている人でいえば、宮沢賢治くらいなもんです。
先生でも、このごろは、コンピュータやら、それからあれこれ教えることが、たくさんになったものだから、忙しくて、ほとんど誰も関心を持ってくれそうにないのです。
けれど、何年かに一人、子どもたちの誰かが、興味・関心を持ってくれたら、それでいいと思いました。なんと言ったって、教科書にあることだ、道にはずれたことを、するわけではない・・・。
当時は、インターネットなんて、まだあるかないかの時代で、あちこち電話しました。
岐阜県瑞浪市の化石は、砂岩だから、貝の化石など、誰かが叩き割って、持っていってしまうかもしれない。いや、本当は、それくらい好きな子があらわれたら、それでもいいかも、などと非教育的なことも、考えたりしました。
結局、岐阜県大垣市赤坂町のフズリナの化石が、石灰岩で堅くて壊れにくいから、ちょうどいい、ということになりました。
貝の化石と比べると、小さすぎて、何なのかわかりにくいから、いくら2億5千年前の化石といっても、素人受けしにくいのは、この際、やむを得ませんでした。
セメントの原料として、砕石している会社に電話すると、
「このごろ出なくなりましたが、あることはあるから、いつでも採りにきてください」
それで、据付けをしてくれる石屋さんと、卒業式前の1月に、出かけたのでした。
確か、セメント会社の事務所で菓子折りを渡しただけでした。運搬や据付け、説明プレートなどに、お金がかかったのでした。
自由に採っていってください、と言われて、水溜りのあるぬかるんだ道を、車で登っていくと、思ったよりもいくつも、適当なのが転がっていました。
石屋さんは、早速、大きな岩にチェーンを巻いて、クレーンで積み込み始めました。ところが、それを見ているうち、せっかく来たのだし、記念に自分も家に小さいのが欲しい、という気になってしまいました。
そう言うと、石屋さんは、気軽に1個、肩幅くらいの大きさの小さなのを抱えあげて、クレーン車の荷台に載せました。
石屋さんの店まで帰ってきて、クレーン車から乗用車に、載せかえてくれたので、家に帰ると、早速、車から降ろすことにしました。
ところが、そのときになってわかったのですが、石は抱えあげようとしても、びくともしませんでした。
商売にしている石屋さんには軽い石でも、チョークくらいしか重いものを持った事のない情けない数学教師には、重すぎたのでした。
せめてワゴン車ででもあったら、転がして落とすことも、できたのですが・・・。トランクの後ろの壁の高さが、ベルリンの壁(またまた古い。)くらいに、あまりにも高すぎたのでした。
それで、ついに奥さんに頼んで、やっとのことで、片方を持ち上げてもらいました。
暗がりの狭い車庫で、体を寄せ合って、かがみこんでいるところなんぞ、絶対に、近所の人には、見られたくありませんでした。
奥さんには、役にも立たないこんな思い石ころなんかもらってきて、どうするつもり、とほぼ、完全に軽蔑されました。
でも、何年か後!!!
その小学校を卒業してきた子たちと、その地区の中学校で、一緒になりました。
そして、泣けてくるほどうれしいことを聞きました。
なんと、理科の授業のとき、担任の先生に連れられて、運動場の向こうに、化石を見に行ったことがあるそうです。
素人農事メモ 4/14
薄曇り、風は冷たいものの全般的に暖か
ジャガイモの畝作り、「ジャガレンジャー・レインボー」なる七種類1球ずつ詰を、3袋植える。(本当は、しばらく畝を放置してから、植えるべきところ、せっかちのため)小牧のカーマホームセンターで、時期遅れ格安で購入。七種類もあるなんておもしろそう。そのアイデアに感嘆。
花ショウブとシュウメイ菊を、しらかばBB園に植える。
ポットの宿根早整理。