友だちができなかった理由

「欠席した者にまで、写真を送ってもらって、ありがとう。悪かったねえ」
先月、小学校の同窓会幹事を、順番ですませたのです。
そのあと、近況報告をまとめたプリントと、出席者の写真を、同窓生全員に送りつけました。
6年前には28人、3年前には17人の出席。
5年生になる時に、分校からの人数を合わせて60人を、かろうじて超えて、2クラスになった、と記憶しています。
今回なんとか、その60人のうちの15人出席、に踏みとどまってもらえたのでした。
「みんな、ひどう年取ったねえ」
率直な感想、ありがとうございます。お互いさまというものでしょう。
別の同窓生からも、お礼の電話がかかってきました。
「変わってきたばっかの頃、家に遊びに行ったのを、覚えとるかなあ。」
自分は、小学校の3年生の時、父の転任にともない、小学校脇の教員住宅で、暮らすようになったのでした。
「お母さんが、お茶を出してくれた。あの頃、そんなことをしてくれるうちなんか、どこにもなかったぞ」
数えてみると、昭和28年のことになります。
「おまけに、勉強をさせられそうになった。」
記憶にありません。
まあしかし、そうだったかもしれません。
「勉強なんか大嫌いだったもんで、あそこのうちには、もう絶対に遊びに行かんぞと、みんなで決めたなあ」
追記
この友だちは、今でも何人かの人を使って、仕事をやっているようです。
もうひとつ追記
あの頃、松茸採りや自然薯掘り、笹百合採り、魚釣りなどなど、いろんなことを、友だちから教えてもらいました。
そのせいで、こんな山中に、今暮らしているのかもしれません。